「あの夜のこと……ちゃんと、覚えてる?」
その言葉が聞こえたのは、玄関のドアを閉めた直後だった。
七瀬さんの部屋――久しぶりに足を踏み入れた、あの場所。
「……はい」
返事をすると、七瀬さんはうっすら笑って、
リビングのソファに腰を下ろした。
「ふふ……もう、あんなことはダメだと思ってたのよ」
「でも……あなたの顔見たら……身体の奥が、思い出しちゃって……」
その言葉とは裏腹に、彼女の足元はとても静かだった。
でも――しっかりと履かれた、あの白いリブソックスは、
まるで“また始まる”ことを予告しているように、存在を主張していた。
「今日はね、何もしないって決めてたの」
「だけど……それって、自分に嘘ついてるだけかもしれない」
七瀬さんはゆっくり脚を組み替えた。
くしゅっとしたソックスの折れ目が、膝の上でやわらかく形を変える。
「……匂い、嗅ぎたい?」
小さく、でもはっきりとした声だった。
答えるより早く、七瀬さんの足がぼくのほうへ伸ばされる。
白ソックス越しに、彼女の足先がぼくの顔をなぞってきた。
「ほら……前みたいに……我慢できる?」
息が詰まる。
触れてるだけなのに、
あの夜の温度が、全部よみがえる。
「……もう、止めなくていいよ」
七瀬さんの瞳が揺れる。
けれどその奥には、もう迷いはなかった。
This website uses cookies.